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2006年11月

2006年11月29日 (水)

青年の船が僕を変えたのだぁの巻

伸太郎1号は22才のときに青年の船に参加しました。
ちょうど、22才の誕生日を船上からクウェイトを眺めながら迎えました。


 *今ではまったく面影がありませんが、真ん中でモテテいるのが1号です。

僕にとっては海外も初めて、国際交流も初めてというものでした。
しかし、日本から遠く離れてインド・パキスタン・クウェイト等の国を
訪れる55日間は忘れられない船旅になりました。

船の中では各国の事情を学んだり、みんなと真剣に話し合ったり、
訪問地では日本文化の披露をしたり、仲間作りのレクを楽しんだり、
と忙しい日程が続きましたが、参加している青年たちは国際交流や
青年活動に熱心な人たちでその活動の中で、いつしか僕自身も
みんなの輪に入っていたように思います。

それまでの僕は自分が楽しければ、それで幸せって思っていました。
外国という世界があることも、ましてや外国と文化交流をするなんて
考えたこともありませんでした。

おかげで、日本に帰ってからは地元で青年団や会社の組合活動に
のめり込むようになりました。
青年の船が僕を変えてくれたと思います。

あれからいつの間にか30年近くも過ぎてしまいました。
僕なりに一生懸命に仕事をしてきたつもりですが、
目を輝かせながら、活動していたあの頃の姿はありません。
ここらで、もう一度、純粋に、素直に楽しみたいと考えています。

2006年11月28日 (火)

退職願い?退職届け?

伸太郎は退職願を10月3日に提出して11月1日に受理されました。
これで、1月末に退職することが決定しました。
 
何かを捨てなければ、何かを得られない、と人は言います。
しかし、捨てることはとても勇気のいることだと思います。
何も捨てないで全てを得たいと願うのが人間らしいとも思えます。

伸太郎はNZへの夢を求めて、サラリーマンを捨てて、
新たな一歩を進めようとしているのです。

ところで、この退職の申込用紙が「退職願い」となっていることに、伸太郎2号が反発。
何で、お願いせにゃならんの?と、お怒りモードです。
彼いわく・・・ 会社が転進支援制度を作って定年前に早く辞めてくれ、と言うから
辞めてやるのに。退職願いとは何事だ。退職届けで十分だ。という言い分です。
 
さて、さて、どちらが正しいのでしょうかねぇ。
どちらが正しくても、来年からは失業者です。

2006年11月27日 (月)

伸太郎のこと

表題を「伸太郎はNZに行けるのだろうか」としながら、ニュージーランド(以降NZ)の話題がまったく無いことに気付きました。

そこで、少し僕たちの話をしてみます。実は、伸太郎という人物は二人いて、僕は1号なのです。2号の彼とは入社以来の友人で今ではかけがえのない友です。
その2号と30才の頃から「将来は海外でのんびりと生活したいなぁ」と酒の肴に夢を語り合っていたことが物語の始まりです。最初はオーストラリアが良いとかカナダが良いとか言っていましたが、とりあえず貯金でもしようや、ということになり、ひとつの通帳に毎月少しずつ貯金を始めました。そして、45才の時に行き先をNZに決め、ANZ銀行で外貨預金を始めることにしました。

NZに決めたのは、1号が30才の時にNZを訪れて、とても楽しい経験をしたこととオーストラリアを選ばなかったのはバブル期に日本人が投資をしすぎてあらゆる物の値段が上がったことが理由でした。

なんとなくNZに決めましたが、それから情報収集を始めてみると、とても住み心地が良さそうな国だという印象がどんどん強くなってきました。NZ人はとても親日家であること。青い海、温泉に氷河、手つかずの自然がいっぱいあること。大好きな白ワインのワイナリーが数多くあること。海や山、川のレジャースポーツが盛んであること。などなどNZの紹介雑誌を見ながらワクワクしていました。

そんなときに早期退職制度が導入され、「ちょうど50才できりがいいや」と退職を決めてしまいました。お互いの女房には申し訳ない気持ちはあるものの、「たったひとつの人生だ。真の自己実現を目指すぞぉ~」とエイエイオーを叫びながら、本音はのんびりしたいだけなのです。

LOHASという言葉のもつ意味も少しずつ理解できる年令になってきましたし、老けてしまっては新しいことにチャレンジできないこともわかっています。それがNZへの想いです。

さぁ、「伸太郎はNZに行けるのだろうか」の始まり、始まり、です。(次回に続く・・・)

2006年11月26日 (日)

クリスマス気分

今日はミサワホームの人に来てもらい、電飾用のコンセントとスイッチを付けてもらった。
おかげでこのようにきれいになりました。

ひと足はやくクリスマス気分です。

子供たちが小さいときはクリスマスと言えばプレゼントとケーキを買って帰ったものだ。
今はいつもの日と何も変わりない。
昔は赤い円錐の帽子をかぶって酔いつぶれているオッサンがいたもんだが、
今はそんなオッサンはいない。
少し、寂しい気もするが、「よぉし、僕がやってやろう」という元気もない。
今のオッサンは昔のオッサンに敬意を表します。

足立美術館

25日には足立美術館(入館料2,200円)に行ってきました。
2003年から毎年庭園日本一に選ばれているそうです。

ご覧のとおり完璧な美しさ・・・掃除の・・・

深刈り込みは花が終った時期にして、手入れの刈り込みは年間10回行うそうです。
僕の散髪より多いなぁ・・・

朝10時にはもうバス10台ぐらいと乗用車50台くらい駐車場にありました。
平均見学時間は2時間だそうですが、僕は1時間しかかかりませんでした。
部屋の壁を屏風型や掛け軸型にくりぬいて、庭の景色をあたかも絵のように見せて
部屋の中から四季のうつろいを楽しむ趣向が有名です。

裏庭にあったあざやかな赤い色の紅葉がとてもきれいでした。

松江に行ってきました。

24日に松江に行ってきました。
宍道湖に沈む夕日がとてもきれいでした。

たくさんの人が写真をとっていました。
島根県立美術館の前にはこんなかわいいうさぎもいました。

因幡の白兎かな?

松江は観光するスポットは多いし、出雲蕎麦はおいしいし、気に入っています。
島根県民会館の前にある「一色庵」の茶三色割子蕎麦(1,100円)は絶品。
店のおじさんが親切に食べ方を教えてくれるし、そば湯にたまごの白身が入っていて
それはそれはおつゆのように美味でした。黄身は蕎麦の上にかけました。

また、近所にあった「はつばあさんのコロッケ屋」のコロッケ(100円)も大きくてGoo。
本当におばあさんの手作りでおいしかったので宅配便で家に送りました。
今夜のメインデッシュです。

2006年11月24日 (金)

作務衣

作務衣(さむえ)は、禅宗の僧侶が労働(作務)をする時に着る作業着の事である。
いつ頃から使用されたのかは定かではないが、禅宗寺院では僧侶が掃除や薪割り、畑仕事など、
寺院を維持するための労働を行う時に着用する。作業着であるため、坐禅や法会の時には着用しない。
素材は麻や綿で作られており、色は正式な衣である黒衣と区別するために、藍や茶である事が多い。
・・・・・ということらしい。
 
僕は最近、休みの日は作務衣を着ているが、いまのところウンチクは考えていません。
ただ着やすいから着ているだけです。
 
まあ、NZに住むまでには「作務衣は日本の伝統的な服である」てなことを考えておきましょう。
実はまた、ジャパネットたかたインターネットショッピングで作務衣を注文してしまいました。

2006年11月23日 (木)

ギター

趣味は?って聞かれると、即、ギターです。と答えてる。
しかし、クラッシックでメロディが弾ける訳でもロックのリードが
弾ける訳でもない。ただコードをジャカジャカ弾いているだけ。
だから本当は、フォークソングを歌うことです。伴奏は自分で
ギターを弾いています。ちゅうのが、正しい答えだと思う。
でもカッコつけてギターです。と言っているおじさんなのです。
 
 
そんなギターでも、歴史は長く、中学生のころからで、そう、吉田タクローや
かぐや姫、井上陽水の時代だね。
毎日、ジャカジャカ弾いては、大声で歌っていた。
 
高校2年のころまでは、作詞、作曲もおもしろいようにできていた。
それが、だんだんとできなくなった。
感受性が早くも失われたからなのか、もう、限界だったのかはわからないが、
とにかくできなくなった。
 
それが、社会人になって、青年部活動を始めてキャンプソングが何曲かできた。
初めての海外旅行で、青年の船に乗船して、そのときに1曲できた。
 
やっぱり感動しなければダメなんだろう。
この歳になってもできるだろうか・・・
中学のころの自分の曲を歌ってみると、本当に純粋な気がする。
 

2006年11月22日 (水)

アロマ・・・猫の名前

私のことをみんなは「アーチャン」と呼ぶけど、ホントは「アロマ」って名前があんだよ。
自分たちで勝手に付けておいたくせに、「アーチャン」と呼ぶな。
まあ、捨てられてた私を拾ってくれて、メシつきで居心地のいい家だからいいけど。
 
朝から晩までごろごろしてるからすっかり太っちゃった。家の外には出たことないしね。
外には私とよく似たかっこうの人がウロチョロしてるけど、ふん、なんか臭いのよね。
私は臭くないわよ、だって「アロマ」だもの。
 
  

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