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2019年6月19日 (水)

人と防災未来センター

20190619

今日は民生・児童委員の日帰り研修旅行に行ってきました(#^.^#)

研修先は神戸にある「阪神淡路大震災記念 人と防災未来センター」です

最初は震災を経験された“語り部”の方からの生々しい証言を聴き

工夫を凝らした震災体験施設の見学をしました

1995年1月17日午前5時46分

兵庫県淡路島北部を震源とするマグネチュード7.3の地震

大都市神戸を中心に6,400人を超える人々の命を奪った地震

あれから24年の歳月が過ぎています

このセンターは大震災の経験と教訓を継承し

防災・減災の実現のために必要な情報を発信するためにつくられました

足が震え、心が震える体験ができます

地震はいつ起きるかわかりません

日頃の準備と心構えが必要なんだなぁと思いました(@_@。

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コメント

あぁ…
ベッドに入った途端、洗濯機に放り込まれたようにグルグル揺さぶられ、
「ひぃぃぃ」言いながら掛け布団を被りました (@@;)

1時間後、徒歩15分の場所でぺしゃんこに倒壊したお家を見たけど、
「大変だなぁ 。・゚・(ノД`)・゚・。」と感じました。

都市機能麻痺の恐怖は、
そして、
備えや経験値がないことの恐怖は、

あの下に人が閉じ込められていることがわからなかったこと…
だって、救助が来てないんだもの…
消防も救急も来ていないので、「不幸中の幸いだよね」と思ってた。

有事の際は、誰かが電話すれば、
必ず!
「警察・消防・救急」が駆けつけてくれると思い込んでた…

認識を、備えを、改めなければいけないよね。

知り合いは長田地区で炎が迫る中、周囲の人たちとがれきの中から「誰かわからんけど、誰か」を引きずり出す、でも、諦めて逃げるを繰り返したと言ってた。

翌日は、坂道を数百m上ったお家の火事を様子見に行ったが、
民家の火災で、消防車はかろうじて1台だけ、しかも市域全体は断水中。

数人の消防士さんが右往左往する中、
「あんた、ホース運んで!」と命令され、
坂を下った池から「死ぬほど重たいホース」を坂の上まで運びきりました。
守護霊様にはキツい仕事だった
(>o<)

なんか、久々に長文
( TДT)ゴメンヨー

m(._.)m
こんな時間(普通か?)に、記憶がどんどん蘇って、
先生に書きたいことがもう1つだけ、連続コメント、
ごめん。

ホース運んでから、大阪へ仕事に行かなければいけない。
2駅先から電車が動いてるので、徒歩1時間ほどだし、がんばって歩く。
会社員の人たちとか、ゾロゾロと列をなして先の駅を目指す。
でも、倒壊物の影響もあり、迂回・迂回で2時間…

断層直下のひどい地域を抜けなきゃいけなくて、そこかしこで倒壊したお家がある。
地域の消防団の人たちが取り囲むお家もある。

でも、駅へ、大阪へと目指す集団は、黙々と歩く。
自分も同じく、歩く。

消防団の目の先は、誰かが閉じ込められているかもしれない瓦礫だったのに…
誰一人そんなことに思い馳せることはないかのように、通勤の列は進む。

もし、消防団の誰かが「瓦礫手伝って!埋まってるかも…」と叫んだら、あの通勤の人たちは・自分は、どうしただろう…

仕事に行く場合なのかどうなのか?それもわからないまま、みんな初めての経験だったのかな?とも思います。

被害管理・トリアージなど、「いま優先すべき事・それに助力できるパワーの確保」!
このリーダーシップは、勇気がいるけど必要ですね!

ちなみに、
地震の7時間後、滝壺にトイレ用の水を汲みに行く途中、自衛隊の先遣偵察部隊が水道局の貯水池を既に確保してたのを見て、これから支援があるのか?と、ホッとした覚えもあります。(当時政府が派遣要請を躊躇っていた最中!伊丹の指揮官が独自判断してくれたのかなぁ?)

飲み会の時は「ちょっと***?」な電一郎先生みたいな人が、各地域にいて、がんばってくれることを切に希望する次第ですよぉ!

なんか記憶が蘇ったので、書きました。

人と防災未来センターで語り部の方からの体験談の中で
「助けてくれるのは近所の人」という言葉を聴き
その重さと大切さを強く感じました

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